鶫の書

鶫書房房主の古書蒐集と読書の記録です。

「櫟原」第54号

 2022年3月9日である。

 

 千葉県市原市の鈴木仲秋先生より「櫟原」第54号を賜る。毎号楽しみにしている。

 

 【見る】は市原市武士古墳群(武士三山塚)の馬頭観音の碑のお話。鈴木先生のこれまでの見聞から、この近くを通っていたとされる藩道との関わりが語られるが、「過去は多く伝承によって解るだけとなった今、伝承者も少なくなって、このままだと百年前のことも知ることが出来なくなるに違いない。」という危惧に同感した。行政や地域住民が智慧と力を合わせて、何か出来ないものかと思う。

 

 【語る】は、長井英明「偶然」、山田賢「思いつくままに」、逸見悦子「手編みの虜に」の三篇の読み物。それぞれ印象的な一節を引く。

 「偶然は作爲のないところが價値なのであつて、小細工を弄して表面的な形をとりつくろつても、自分の心は欺けない。滿たせない。」(「偶然」)

 「その小団地の南側は東から延びる、ごく細長い舌状の大地になっていて、そこには中近世の塚が幾つか所在した。現在は一基が残存しているに過ぎない。……こうしたかつての土地の状況などを、図面や文字で記録して後世に伝えて行くことも必要ではあるまいか。」(「思いつくままに」)

 「息子達が成長すると、交友関係も広がり、同じ形のセーターを息子と、その友達にも色違いで何枚も編んだことだったが、その写真付きのページは、すぐに出てきた。懐かしくて当時の息子達の会話や、仕草までが浮かんでくる。」(「手編みの虜に」)

 

 【詠む】は鈴木先生の短歌「遠き海の音」15首。これもすばらしい。好きな歌を引く。

 北国の雪の便りを 読みてゐる この静けさのなかに 漂ふ

 黝ずみし仏の姿の 経て来たる年月 拝む。老いし幾人

 曇りつつ 心づくしの風ふきて、背戸の椚葉 音立てて散る

 玻璃の壺を通して 歪む秋が見ゆ。ひととき明るく ひととき暗く

 妻の喪の終る師走に 山の音を かそかに聴けり。暁近く

 

 特に引用5首目には心打たれた。

 

 【古典の窓】は佐度原嗣世「更級日記の歌(三十一)」。最近の発掘調査の成果等も踏まえながら、当時の暮らしの細部についても考察を加え、歌を読み解いていく。

 

 【声】はK・Y生の「日本語の修練」。前登志夫が安騎野志郎の筆名を用いていた頃の思い出に触れつつ、その著作『山河慟哭』の「今日の短歌の世界ほど生真面目に日本語を修練し、誠実に現代を生きようとしている姿はないだろう。ただこの定型詩は文芸の一形式としては当世向のものではないので、歌人の悩みは単純ではない。」という記述を紹介し、近年の口語歌における俗語の使用に疑問を呈している。

 

 鈴木仲秋先生をはじめとする会員の皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。いつも楽しい気持ちで学ばせていただいております。ありがとうございます。