鶫の書

鶫書房房主の古書蒐集と読書の記録です。

昨年の回顧

 2023年1月1日(日)である。

 新年、よき年になりますように。

 

 昨年は後半から生活に変化があってブログの更新もおろそかになった。古書の蒐集も止めてしまっていた。しかし、一年を振り返って、蒐集家、読書家としてどんな年だったのか、新しい年への展望を書いておきたい。

 

 【昨年の回顧】

 古書展に行くことも稀になってしまったため、たいした収穫もなかったが、それも金銭的にはよかったようだ。そんな中、一番の買い物と言えば、3000円で購入した水墨画の掛軸があった。本ではないのだが、これは自称預言者・宮崎虎之助が、ヘルモンの高峰を望むキリストを描いたもの。貴重な買い物だった。これを昨年随一の成果としよう。彼の『神生画集』にも収められていないもの。もっとも彼の絵というのは、キリストでもブッダでも、ムハンマドでもゾロアスターでも、それほど描線や構図に違いはないのだが。

 

 【今年の展望】

 昨年末からのことだが、コレクションからセレクションへ、という考えで、蒐集するものを極端に絞っていこうと思っている。

 

 一つは、宮崎虎之助周辺の資料。

 一つは、フランスの文筆家ジャン・グルニエの邦訳著作。

 一つは、岡崎清一郎の詩集。

 

 とりあえずはジャン・グルニエに取り掛かりたいと思っている。それと、スペイン語を始めようと思う。理由はないけれど、長年惹かれるものがあったので。

 

 

 

平山亜佐子『問題の女—本荘幽蘭伝』(平凡社・2021年)について

 2022年8月7日(日)である。

 

 題記の書物であるが、ちょっと気になった点があったので記す。編集者の間違いではないのだが、再版や増補版の出版が検討された場合には訂正してほしい点がある。

 

 133頁。1907年に上野公園で開催された東京勧業博覧会で目撃された「預言者」を名乗る男と筒袖の女性、の件である。日露戦争後に我が国では「自称神仏」が続出したことは承知の通りだが、この時代に「預言者」を「自称」する男といえば、まず宮崎虎之助を思い浮べるのが、読書人というものである。これを「神風会」の宮井鐘次郎だと推測するのは、どうにも意味不明である。「預言者」を名乗る男が宮崎虎之助であるならば、筒袖の女性は、当然、辻説法では彼の隣に必ずその姿を見かけた妻・宮崎光子であると考えてよいであろう。

 

 この推測の件は、木村悠之介氏の研究ブログにも言及されていることで、しかもこの推測の元になったのは、木村氏の修士論文である可能性もあるようなので、いまさら記すのも気が引けるが、もし宮崎虎之助について分からないことがあれば、柏木隆法亡き後、宮崎虎之助研究の第一人者を「自称」する私に、ご連絡いただきたいと思う。修士論文から推測するというのは、ちょっと……。憎まれ口を叩くようですが……。

 

 とはいっても、本書は非常に興味深い事実を多く含んでいるので、おすすめしたいと思う。私も『問題の男—宮崎虎之助伝』を早く書いてみたいと思っている。

我楽多市

 2022年7月29日(金)である。

 

 ひさびさの更新。東京古書会館にて。金曜日の昼に向かう。最近昼は水道橋に舞い戻って仕事をしているので(会社は異なるのだが……)、毎週金曜日のお昼休みが楽しみになっている。その分、土日は疲れてしまって、わざわざ高円寺には行かなくなってしまった。

 

 河野典生『緑の時代』(早川書房・1972年) 100円

 

 ハヤカワSFシリーズの1冊。川島理一郎が昭和12年に龍生閣から出した同名の随筆集のほうが、ある人々にとっては面白いか。

 

 個人的に最近凝っていること。居酒屋探訪家の太田和彦のものまねの練習。嚙むところがけっこう難しいです。

BOOK & A

 2022年5月12日である。

 

 西部古書会館にてBOOK & A。

 

 山本英輔『真理の光』(千代田書院・昭和27年・再版) 函 700円

 F・カプラ著/吉福伸逸田中三彦島田裕巳・中山直子訳『タオ自然学』(工作舎・1979年) 帯 300円

 レイモンド・M・スマリヤン著/桜内篤子訳『タオは笑っている』(工作舎・1981年) 帯 300円

 ローレイン・ウィヤール編/仲里誠毅編訳『科学と精神世界の出合い』(たま出版・昭和60年) 帯 300円

 真理の御魂最聖麻原彰晃尊師『日出づる国、災い近し』(オウム・1995年) 400円

 

 なんというか、会場自体がオカルトや宗教関係の本が多め。こんなもんなの?という値付けなのだけれど、あまり詳しくないので買ってしまう。『真理の光』は魚山堂書店、それ以外は古書マージナル。古本案内処の棚にも買いたい本があった。シュタイナー関係の本もちらほら。

 

 『真理の光』から巨大な紙魚が出てきてびっくりしました。

 

 帳場になんだか大物から古書売却の電話がかかってきたみたいなのだが、古書会館に買い取り希望の電話をかけて来るというのは、どれだけ頓珍漢なのかというわけで、研究者だとしたら信用ならない人物だと思った。だめですよ、呆けてちゃ。

杉並書友会

 2022年5月8日である。

 

 西部古書会館にて杉並書友会。特になし。

 

 現代文学研究会(代表太田次郎)『アプレ・エロチスム』(菊書房・昭和26年) 200円

 堤千代『再会』(新潮社・昭和18年・6刷) 200円

 堤千代『柳の四季』(新潮社・昭和17年) 200円

 他に『芸術至上主義文芸』がバラで数号置いてあったので、いくつか買う。各100円。

 

 ネット記事で「短歌ブーム」とかいうのを見ることがあるが、本当なのだろうか。本当だとしたら恥ずかしいと思うのは、私が古いというのもあるけれども、歴史的に見て、どれだけ短歌=歌人がこうしたブームに乗りやすく、また、利用されやすいものであったか、このブームに関心がある歌人はそのことを少しでも意識したほうがよいのではないか。それにしてもマスコミにもあいかわらず軽薄な者がいるようだ。

 

 

 

 

光瀬俊明『AとBとの手紙:獄中でよみがえった魂の記録』

 2022年4月27日である。

 

 光瀬俊明『AとBとの手紙:獄中でよみがえった魂の記録』(講談社・昭和45年)。

 

 光瀬俊明(1899-1974)は、倉田百三(1891-1943)の書生だった人で、大正14年に倉田が主宰して岩波書店から発行していた求道的文藝雑誌『生活者』の実質的編集者となっていた。その後は「生命会」を主宰したり、自称予言者宮崎虎之助の弟子川合幸信に師事したりして、戦前期の求道的生活の中に青春を送った人である。本書では、「B」のモデルが著者光瀬自身である。いっぽうの「A」のモデルは不明だが、劇作家額田六福(1890-1948)のいとこで、『生活者』掲載の「B」の文藝作品の愛読者で、妹尾義郎(1889-1961)らの『若人』にも参加していた青年であった。

 

 本書は私文書偽造の罪で服役している「A」と、旧友として彼を外部から支援する「B」との往復書簡といった体裁を取った物語で、「座禅」であるとか「見性」であるとか、宗教的な事柄についての感想のやり取りが続き、宗教的雰囲気に満ちている。

 

 大正時代の宗教的雰囲気の周縁で青年期を過ごした人間が、戦後どのような精神状態で生きていたのかを知る上でも興味深いが、私が思わず声を上げてしまったのは、「B」が獄中の「A」に宮崎虎之助『神を成就するもの』(平凡社昭和4年)を差し入れ、「A」がそれを読んで感動している箇所である。この本は宮崎虎之助の遺著だが、実は、昭和34年にいかなる理由か不明ながら平凡社から三十年ぶりに再版されているのだ。「A」が読んでいたのはおそらくこちらの版で、漢字や仮名遣いを新字新仮名にあらためたものであろう。私は感動した。そして戦慄した。

 

 あの自称予言者宮崎虎之助の遺著から宗教的感銘を受けた人々が戦後にもいたのか、という思い。大町桂月がかつて「狂書」と評したこの本を「A」は獄中で繰り返し精読し、「頭の中に全部たたき込んでしまうつもりです」などと言っている。光瀬と同定できる「B」は無論宮崎の教えに深く共鳴し、信奉しているのだ。明治大正の亡霊のように現れる予言者と、その後を継ぐ形になった川合幸信、そして宮崎や川合を語り継ぐ光瀬俊明。信仰にまっすぐな人達だが、それゆえの怖さがある。

 

 「B」の回想を光瀬俊明の回想とすると、いろいろ知らなかったことが語られているのも興味深い。例えば、旧制五高時代に光瀬が「日本のシュヴァイツァー」と呼ばれる宮崎松記(1900-1972)、佐藤栄作(1901-1975)、池田勇人(1899-1965)と同期生だったこと、『生活者』には「生活者演劇部」とがあり、築地小劇場で吉田泰司作「稚き母」、板垣守正作「足跡」、山根一男作「貝殻追放」を演じ、その仲間の一人に三島雅夫(1906-1973)がいたこと、川合幸信が故郷土佐で肺結核のために死んだこと。光瀬が倉田百三の影響を受けて自分も「宗教文学」を志していたが、その時に自らの宗教体験の無さを省みて宗教の道に入って行ったこと。

 

 物語は、二人の宗教的対話を織り交ぜながら、かなり現世的な問題について進んでいく。「A」が長く同棲していた「N子」と別れ、「F子」と獄中結婚し、出所していくというのが筋の中心なのである。「N子」も「F子」も「S宗教団体」の信者ということで、周辺人物がみな宗教関係者というのにも驚かされるが、これは創価学会のことだろう。作者はこの「S宗教団体」には批判的だが、それほど激烈なものでもなく、物語もかなり退屈に展開していく。最後に、出所した「A」が「B」に造園業を主軸とした会社の設立について夢を語る場面があるのだが、この「A」はそれまでもこの手の夢想に取りつかれる人で、大風呂敷を広げて、詐欺的行為をするなど他人に迷惑をかけ続けてきた人なのだ。それを「B」は希望と期待をもって祝福しているのだが、この「後日譚」の「後日譚」が知りたいものだと思った。

 

 今や誰も読む人はいないと思うが、本書も奇書の類だろう。

暗い時代を暗い時代として感じないこと

 2022年4月25日である。

 

 「近代日本宗教史」第2巻の『国家と信仰——明治後期』(春秋社・2021年)の末木文美士「第一章 総論——帝国の確立と宗教」を瞥見。「四 大逆と宗教」で、明治43年(1910)の大逆事件が、「思想や言論に携わる人たちにとって、まさしく「冬の時代」への突入と受け止められた。」という記述があり、石川啄木時代閉塞の現状」が挙げられている。末木だけでなく、同じような文は何処でも出会うことができる類のものなのだが、私は、この、知識人にとっての「冬の時代」としての大逆事件以後という捉え方が、あまり好きではない。「冬の時代」と悲愴的に捉えることで、何か問題がそこで英雄の死を讃嘆して終わってしまう気がするし、感情的な言い方にも抵抗を感じたりするのだ。文学者からの反応が大きいのも、そのような感じ方のせいではないか。もちろん、末木はその直後に『白樺』や『青鞜』の創刊、西田幾多郎善の研究』の出版にも触れて記述のバランスを取っていて、異論はないのだけれど。

 

 船山信一『大正哲学史研究』(法律文化社・昭和40年)などはもう古い文献とされているのだろうが、船山は、明治末年は暗黒時代と言われるが、それは社会主義にとってはそうである、と限定している。結論としては、闇の中に光あり、ということで、末木と同じ事項、また、友愛会の結成、美濃部達吉憲法講話』の出版、『近代思想』の創刊を挙げて、大正に繫がる肯定的側面を記述していく。しかし、大逆事件への反応としては、啄木、蘆花、鷗外、荷風など多くの文学者が批判的反応をしたに対し、哲学者や宗教家からは三宅雪嶺『四恩論』を例外として、批判的反応が見られないとする。それどころか、事件を「近代人の思想」(自由民権論、唯物論、進化論など)の批判に利用し、「彼らもそれを認めているから」という奇妙な論理で支配者を批難する暁烏敏、「ようもやったな」「でもやはり殺しそこねたか」といった程度の感想を抱いたに過ぎないという出隆などを挙げて、明治末の暗黒時代は社会主義者及び文学者を中心とする一部の知識人のもので、知識人一般に及ぼすことはできないというのである。

 

 そして、結論として次のように述べる。

 「彼らが大逆事件に関して災いが身にふりかかるのをおそれて口をつぐんでいた——ただ抗議の文章を発表することをおそれただけでなく、手紙や日記に書きしるすことさえしなかった——と想像することは、単に第二次世界大戦中のわれわれの経験からの推測にすぎないだろう。彼らは暗い時代を暗い時代としては全く感じなかったのではなかろうか。それほど彼等は支配者の考えていること、支配者が民衆に考えさせようとしたことを、自ら考えていたのである。哲学者たちが暗い時代に災いをおそれ、委縮して口をつぐんでいたと考えることは、彼らの社会的関心に対するわれわれの買いかぶりである。」

 

 船山が指摘するこの「買いかぶり」は私たちが歴史を顧みる時に、往々にして起こることだろう。私自身としては、船山のような捉え方を忘れてはいけないと思う。もし自分がその時代の知識人であったならば、出隆とような感想を持つに過ぎないのではないか。つまり私たちも——少なくとも私は——、「支配者の考えていること」「支配者が民衆に考えさせようとしていること」を考えている、ということなのである。その点、意識的でありたいものだ。

 

 暗い時代を暗い時代として感じないことの問題がそこにある。そういう感じ方は現在も存在している。