鶫の書

鶫書房房主の古書蒐集と読書の記録です。

暗い時代を暗い時代として感じないこと

 2022年4月25日である。

 

 「近代日本宗教史」第2巻の『国家と信仰——明治後期』(春秋社・2021年)の末木文美士「第一章 総論——帝国の確立と宗教」を瞥見。「四 大逆と宗教」で、明治43年(1910)の大逆事件が、「思想や言論に携わる人たちにとって、まさしく「冬の時代」への突入と受け止められた。」という記述があり、石川啄木時代閉塞の現状」が挙げられている。末木だけでなく、同じような文は何処でも出会うことができる類のものなのだが、私は、この、知識人にとっての「冬の時代」としての大逆事件以後という捉え方が、あまり好きではない。「冬の時代」と悲愴的に捉えることで、何か問題がそこで英雄の死を讃嘆して終わってしまう気がするし、感情的な言い方にも抵抗を感じたりするのだ。文学者からの反応が大きいのも、そのような感じ方のせいではないか。もちろん、末木はその直後に『白樺』や『青鞜』の創刊、西田幾多郎善の研究』の出版にも触れて記述のバランスを取っていて、異論はないのだけれど。

 

 船山信一『大正哲学史研究』(法律文化社・昭和40年)などはもう古い文献とされているのだろうが、船山は、明治末年は暗黒時代と言われるが、それは社会主義にとってはそうである、と限定している。結論としては、闇の中に光あり、ということで、末木と同じ事項、また、友愛会の結成、美濃部達吉憲法講話』の出版、『近代思想』の創刊を挙げて、大正に繫がる肯定的側面を記述していく。しかし、大逆事件への反応としては、啄木、蘆花、鷗外、荷風など多くの文学者が批判的反応をしたに対し、哲学者や宗教家からは三宅雪嶺『四恩論』を例外として、批判的反応が見られないとする。それどころか、事件を「近代人の思想」(自由民権論、唯物論、進化論など)の批判に利用し、「彼らもそれを認めているから」という奇妙な論理で支配者を批難する暁烏敏、「ようもやったな」「でもやはり殺しそこねたか」といった程度の感想を抱いたに過ぎないという出隆などを挙げて、明治末の暗黒時代は社会主義者及び文学者を中心とする一部の知識人のもので、知識人一般に及ぼすことはできないというのである。

 

 そして、結論として次のように述べる。

 「彼らが大逆事件に関して災いが身にふりかかるのをおそれて口をつぐんでいた——ただ抗議の文章を発表することをおそれただけでなく、手紙や日記に書きしるすことさえしなかった——と想像することは、単に第二次世界大戦中のわれわれの経験からの推測にすぎないだろう。彼らは暗い時代を暗い時代としては全く感じなかったのではなかろうか。それほど彼等は支配者の考えていること、支配者が民衆に考えさせようとしたことを、自ら考えていたのである。哲学者たちが暗い時代に災いをおそれ、委縮して口をつぐんでいたと考えることは、彼らの社会的関心に対するわれわれの買いかぶりである。」

 

 船山が指摘するこの「買いかぶり」は私たちが歴史を顧みる時に、往々にして起こることだろう。私自身としては、船山のような捉え方を忘れてはいけないと思う。もし自分がその時代の知識人であったならば、出隆とような感想を持つに過ぎないのではないか。つまり私たちも——少なくとも私は——、「支配者の考えていること」「支配者が民衆に考えさせようとしていること」を考えている、ということなのである。その点、意識的でありたいものだ。

 

 暗い時代を暗い時代として感じないことの問題がそこにある。そういう感じ方は現在も存在している。