鶫の書

鶫書房房主の古書蒐集と読書の記録です。

光瀬俊明『AとBとの手紙:獄中でよみがえった魂の記録』

 2022年4月27日である。

 

 光瀬俊明『AとBとの手紙:獄中でよみがえった魂の記録』(講談社・昭和45年)。

 

 光瀬俊明(1899-1974)は、倉田百三(1891-1943)の書生だった人で、大正14年に倉田が主宰して岩波書店から発行していた求道的文藝雑誌『生活者』の実質的編集者となっていた。その後は「生命会」を主宰したり、自称予言者宮崎虎之助の弟子川合幸信に師事したりして、戦前期の求道的生活の中に青春を送った人である。本書では、「B」のモデルが著者光瀬自身である。いっぽうの「A」のモデルは不明だが、劇作家額田六福(1890-1948)のいとこで、『生活者』掲載の「B」の文藝作品の愛読者で、妹尾義郎(1889-1961)らの『若人』にも参加していた青年であった。

 

 本書は私文書偽造の罪で服役している「A」と、旧友として彼を外部から支援する「B」との往復書簡といった体裁を取った物語で、「座禅」であるとか「見性」であるとか、宗教的な事柄についての感想のやり取りが続き、宗教的雰囲気に満ちている。

 

 大正時代の宗教的雰囲気の周縁で青年期を過ごした人間が、戦後どのような精神状態で生きていたのかを知る上でも興味深いが、私が思わず声を上げてしまったのは、「B」が獄中の「A」に宮崎虎之助『神を成就するもの』(平凡社昭和4年)を差し入れ、「A」がそれを読んで感動している箇所である。この本は宮崎虎之助の遺著だが、実は、昭和34年にいかなる理由か不明ながら平凡社から三十年ぶりに再版されているのだ。「A」が読んでいたのはおそらくこちらの版で、漢字や仮名遣いを新字新仮名にあらためたものであろう。私は感動した。そして戦慄した。

 

 あの自称予言者宮崎虎之助の遺著から宗教的感銘を受けた人々が戦後にもいたのか、という思い。大町桂月がかつて「狂書」と評したこの本を「A」は獄中で繰り返し精読し、「頭の中に全部たたき込んでしまうつもりです」などと言っている。光瀬と同定できる「B」は無論宮崎の教えに深く共鳴し、信奉しているのだ。明治大正の亡霊のように現れる予言者と、その後を継ぐ形になった川合幸信、そして宮崎や川合を語り継ぐ光瀬俊明。信仰にまっすぐな人達だが、それゆえの怖さがある。

 

 「B」の回想を光瀬俊明の回想とすると、いろいろ知らなかったことが語られているのも興味深い。例えば、旧制五高時代に光瀬が「日本のシュヴァイツァー」と呼ばれる宮崎松記(1900-1972)、佐藤栄作(1901-1975)、池田勇人(1899-1965)と同期生だったこと、『生活者』には「生活者演劇部」とがあり、築地小劇場で吉田泰司作「稚き母」、板垣守正作「足跡」、山根一男作「貝殻追放」を演じ、その仲間の一人に三島雅夫(1906-1973)がいたこと、川合幸信が故郷土佐で肺結核のために死んだこと。光瀬が倉田百三の影響を受けて自分も「宗教文学」を志していたが、その時に自らの宗教体験の無さを省みて宗教の道に入って行ったこと。

 

 物語は、二人の宗教的対話を織り交ぜながら、かなり現世的な問題について進んでいく。「A」が長く同棲していた「N子」と別れ、「F子」と獄中結婚し、出所していくというのが筋の中心なのである。「N子」も「F子」も「S宗教団体」の信者ということで、周辺人物がみな宗教関係者というのにも驚かされるが、これは創価学会のことだろう。作者はこの「S宗教団体」には批判的だが、それほど激烈なものでもなく、物語もかなり退屈に展開していく。最後に、出所した「A」が「B」に造園業を主軸とした会社の設立について夢を語る場面があるのだが、この「A」はそれまでもこの手の夢想に取りつかれる人で、大風呂敷を広げて、詐欺的行為をするなど他人に迷惑をかけ続けてきた人なのだ。それを「B」は希望と期待をもって祝福しているのだが、この「後日譚」の「後日譚」が知りたいものだと思った。

 

 今や誰も読む人はいないと思うが、本書も奇書の類だろう。