好書会
2022年4月23日である。
このところ蒐書よりも読書に励んでいた。それと国会図書館の遠隔複写の件があって、資金にも限度があるので、不要不急の蒐書は控え、区立図書館を利用するなど、節約生活をする。
好書会。本当はぐろりや会や本の散歩展に行きたいのだが、なんとなく遠く感じて行かず。高円寺へ。
開場20分前に着いてしまったのだが、もういるいる。入場のために前もって荷物を預ける段階でけっこう必死な人がいて、しかし、好書会でそんなに一生懸命になれるなんてどういう事なんだろうと思う。
帳場。今日はなぜか女性の方が何人か会計にいたのだが、それを見て、ある常連か古書店主が「おっ、今日は綺麗どころばかり揃って」と冷やかした。それを見ていた別の古書店主が「誰も否定しねえ」とぼそっと言ったのには笑った。
まあ何も買わないに等しい。以前買ったものをまた買う。
宮島新三郎『改訂大正文学十四講』大洋社・昭和13年 函 200円
川合道雄『綱島梁川の宗教と文芸』新教出版社・昭和48年 300円
小野清秀『改訂神通術奥義伝』大文館書店・昭和53年 200円
研究者として川合道雄は好きなんだけれどもね。それよりもネットで買った以下の本。
光瀬俊明『AとBとの手紙—獄中でよみがえった魂の記録』講談社・昭和45年 1260円
期待して買ったら、やはりよかった。いろいろな事が繫がって、一種の感動を味わった。何が繫がっていったのかは言えないけれども。
青札古本市
2022年3月31日である。
西部古書会館にて青札古本日の初日。なかなかよかった。
『金子洋文集』新進傑作小説全集(平凡社・昭和5年) 函 200円
ラビ・ピンハス・ペリー『トーラーの知恵』(ミルトス・1990・3刷) 帯 200円
ロジェ・カイヨワ『旅路の果てに:アルペイオスの流れ』叢書ウニベルシタス(法政大学出版局・1982年) 500円
新進傑作小説全集は、「犬養健」「池谷信三郎」「佐佐木茂索」「横光利一」「片岡鐵兵」「十一谷義三郎」「金子洋文」「小島政二郎」「葉山嘉樹」「岡田三郎・尾崎士郎」「川端康成・林房雄」「瀧井孝作・牧野信一」「関口次郎・菅忠雄」「南部修太郎・石濱金作」「中條百合子・宇野千代」という全15巻のラインナップ(のはず)。本来は月報がある。
ミルトスの本は古書価が高くなっている場合があるので、安く買うことができてよかった。
カイヨワは趣味です。帯欠で安くもないが、なぜかカイヨワを見ると買ってしまう病にかかっているようだ。他に戦前の歌集数冊を買った。
今回は「がらんどう」と「古本案内処」の棚が安いのではないかと思う。「がらんどう」の値札に「甦れ60年代!」と書いてあることにいまさら気づいた。1960年代か、ちょっと苦手だが……。60年代(西暦1世紀の)なら甦ってほしいけど……。
南陀楼綾繁『古本マニア採集帖』(皓星社・2021年)も面白いといえば面白いのだが、そこに出て来る人たちはまだまだ話せる人たちなわけで、物足りない。小便の匂いを漂わせながら、とか、ふとサンダル履きの足元を見たらひどい水虫である、とか、独り言と独り笑いが止まらない、とか、やたら大きく足音を立てるようにして歩き、ぶつかるように攻撃的に見てくる、とか、こういう壊れた人たちがいないのだよなあ。ただ、自分でこう書いていて、こんな人たちの蔵書は見たくはない、と思ったけれども。
日曜日までやっているみたいです。
買った本
2022年3月26日である。
本来ならば高円寺に行っているところだが、風が強いので止める。
代わりに今週買った本を記しておく。忘備録。
ジャン・バゼーヌ『バゼーヌ芸術論:現代絵画覚書』(美術公論社・昭和53年) 2円
ヴォリンゲル『抽象と感情移入』(岩波文庫・1981年・27刷) 帯 100円
坂崎乙郎『視るとは何か』(美術公論社・昭和59年・4刷) 100円
増田渉『雑書雑談』(汲古書院・1983年) 函 100円
スリヨ『美学入門』(法政大学出版局・1993年・8刷) 154円
原章二『いのちの美学』(学陽書房・2009年・2刷) 230円
ジャン・バゼーヌ『白い画布:創造の深淵』(美術公論社・昭和54年) 375円
ジョン・リウォルド編『セザンヌの手紙』(美術公論社・昭和57年) 440円
玉城徹『茂吉の方法』(清水弘文堂・昭和54年) 帯 540円
アンリ・ペリュショ『セザンヌ』(みすず書房・1989年・新版3刷) 550円
ラッファエレ・ミラーニ『風景の美学』(ブリュッケ・2014年) 帯 1050円
すべて勉強用だ。ヴォリンゲルの岩波文庫は安いので買った。帯付美本で100円は安いと思う。ミラーニはいいですね。「小さな村の物語 イタリア」というテレビ番組があったけれども、あれは本当にいい番組で、今度生まれるならばイタリア人に生まれたいとさえ思いました。
買った本
2022年3月13日である。
特に何もないが、最近購入した本の報告。
藪道子『つむぎの人:館山一子の歌とその生涯』(崙書房・1996年) 500円
原奈保子歌集『寂光』(杉風会・昭和13年) 232円
石毛源歌集『江南戦線』(砂子屋書房・昭和14年) 函 100円
植原秀之助歌集『朝の運河』(書肆舷燈社・昭和58年) 函 650円
藪の本は館山一子の唯一の評伝で、あまり知られていないもの。原奈保子の歌集は〈寂光〉もの。石毛源の歌集は従軍歌集として著名なもので、石毛は、『山西戦線』の著者小泉苳三が主宰する「ポトナム」同人であった。最後に植原秀之助の歌集だが、これは〈あらたえ叢書〉第2篇である。「あらたえ」は、筏井嘉一系統の「創生」出身の高橋徳衛、石野勝美、植原らが興した結社で、市井派の良い歌人が揃っていた。
書狼書豚
2022年3月12日である。
表題に掲げた「書狼」「書豚」という言葉は、辰野隆の随筆「書狼書豚」によって知られている。その意味するところは下に記すが、それとは別に由良君美『椿説泰西浪漫派文学談義』や池澤夏樹『見えない博物館』による紹介があり、その示すところが辰野のそれとは違うのである。長年、この事に疑問を持っているのだが、同じように思って調べる人もいるらしい。しかし、皆「諸説あり」ということで話を終えているようだ。
辰野の文章によると、それぞれの意味は次のようなものになる。
「書狼」とは、「普及版ばかり読んでゐる書狼(ビブリオ・ルウ)」のこと。鈴木信太郎言うところの「豪華版の醍醐味を解せぬ東夷西戎南蛮北狄の如き奴」、また、山田珠樹言うところの「本は読めればよし酒は飲めればよし、といつた外道」のこと。「書豚」については不明だが、前記二人の友を指して「次第に書癖が高じて、やがて書痴となり書狂となり遂に今日の書豚(ビブリオ・コッション)と成り果てた」と辰野が記すところを見ると、「書痴」や「書狂」よりも病の程度が重い蒐集家ということができるだろうか。
辰野の文章で触れられた「書狼」「書豚」は、いずれもフランス語からの翻訳語であることが知られる。であるから、辰野はフランス語で著された書物関係の本に拠ってこの記述をなしたものであろうと推測されるのである。
これに対して、由良君美は、「書物気狂いには〈書痴〉〈書狼〉〈書豚〉の三段階があって、病膏肓の度合いを示すとされる。その最高段階である〈書痴〉というのは尋常一様の本好きでは済まないのであって、犯罪レベルに達する必要があるらしい。」
辰野よりはっきりと位階があることを言う。この順番が大切だ。辰野とは順番が逆である。そして、「書狂」の位置に「書狼」が座っている。
池澤夏樹はどうであろうか。『見えない博物館』(平凡社ライブラリー・2001年)所収の「サルタンの寵姫の耳飾り」において、次のように記す。
「熱烈に本を集める人々にさずけるべき位階は三段階ほどあって軽症から重症にむかってそれぞれ書痴・書狼・書豚と言うのだが、なにをもって判定するかという点に関しては諸説あってさだかでない。」
こちらは、書癖が高じるにしたがって「書痴」「書狼」「書豚」となるという。あげているのは同じだが、今度は由良と順番が逆である。
なんだかへんてこな話だ。これでは読んだほうが混乱するのもしかたない。いずれにしても、由良と池澤はその典拠を示さない。辰野も示さないが、フランス語の言い方を併記しているから、その影響下にある記述とは知られる。
で、何が本当かというと、それが私にもわからないのである。ただ、この三人の誰か、または全員が、間違っている可能性は高いだろうと考えている。