鶫の書

鶫書房房主の古書蒐集と読書の記録です。

井伏鱒二、夏の狐

 2022年2月19日である。

 井伏鱒二『場面の効果』(大和書房・1966年)に「夏の狐」という短篇が収録されている。昭和8年に書かれたものだそうで、これより先に『夏の狐』(三島書房・1947年)に収録されている。

 自分が小さい頃には「狐にだまされた娘」がいたが今も田舎にはいるのか、と郷里の人に問い合わせると、そんな話は記憶になく、子供の頃の空想ではないか、という返事が来るという話。腑に落ちない「私」は確かにそれは起こったことで、人に背負われて、「狐にだまされた娘」を追い回す群れに加わっていた、と思うのだった。

 その郷里の人からの返事のさわりの部分に「先日、井戸がえしをしていたら、お前さまが子供のとき玩具にしていた水晶二個、井戸の底より現れ申候。冷たい井戸のなかに沈めておくと、水晶に子が生じるとお前さまは思ったのだろうと、お前さまの母上が申され候。」とある。私はこういう子供の美しい空想が好きで、それは「私」が実際にあった事だと信じている「狐にだまされた娘」たちの錯乱しながらも美しさを感じさせる姿に通じるものがある。その水晶の空想を直接耳にしたのか、心の中を思いやったのか、母が子の幼い時分のことを思い返すようなところも、たまらなく好きなのである。